ピエロ ひゃーもう売り切れ? [Knitting]
毛糸のピエロ トゥールのセール
販売期間 2013年04月11日10時00分~2013年04月15日08時00分
この間から買おうと思っていたトゥール。
朝たまたまセールになるのを知って、10時ちょうどにトゥールのピスタチオを購入できましたが、
もう一着分ピスタチオを買いたそうかなとパソコンをあげてみたら、11時にはピスタチオとバニラは売り切れていました。
セール前は全色あったのですが、みんな早いわー。
380円が253円なので、かなりお得ですね。
これでは出遅れると思い、ようやくメルマガ登録もしました。
ピスタチオもうちょっと買い足したかったなー。
それにしてもピエロさんって商売上手ですね。
大決算SALEで、期間限定SALEでいろいろ追加になるし。
販売期間 2013年04月11日10時00分~2013年04月15日08時00分
この間から買おうと思っていたトゥール。
朝たまたまセールになるのを知って、10時ちょうどにトゥールのピスタチオを購入できましたが、
もう一着分ピスタチオを買いたそうかなとパソコンをあげてみたら、11時にはピスタチオとバニラは売り切れていました。
セール前は全色あったのですが、みんな早いわー。
380円が253円なので、かなりお得ですね。
これでは出遅れると思い、ようやくメルマガ登録もしました。
ピスタチオもうちょっと買い足したかったなー。
それにしてもピエロさんって商売上手ですね。
大決算SALEで、期間限定SALEでいろいろ追加になるし。
ポス編みーやってみたい [Knitting]
編み物本が次から次へと欲しくなり、ずいぶん増えました。
どれを編もうかな。
毛糸だまno.156 2012 冬特大号で気になった記事。
ポス編みとは
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杜寮子氏(1936-2006)が考案したポス編みとは、棒針編みの基礎をマスターし、ボス針を使用して棒針編みの編み目の中に別糸を通しながら織物の風合いを持った編み地を作り出す技法です。
糸の通し方は大別して四通りの方法があります。
そのテクニックを従来の鉤、棒、アフガン編みのテクニックを自由に組み合わせて、より早く、より軽い作品に仕上げることができます。
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このポス編みが初耳でとてもおもしろそうだと思いました。
凝った編み地ができそうです。
やってみたいのに、道具も本も品切れ中。
なら講習会は?と探しましたが、関東のほうでしかみつからなくて、残念です。
二目ゴム編みのマフラーはやっと半分できたところ。
次は何を編もうかな [Knitting]
長い間編み物に興味がなかったので、毛糸を見るととても楽しいです。
段染め糸は編んだことがなくて楽しそうなので、編んでみたいです。
野呂さんのもいいし、ラメ入りの段染めもいいし、カシミアやアルパカ等の肌触りがいいものも欲しい。
編んでみたい物はいろいろありますが、手が遅くて、マフラーでさえさっさとできません。
編み物本もいろいろと注文中。
ソーイングのとき、在庫布の存在が結構苦しかったので、毛糸の在庫はもたないようにしたいと思っています。
次々と興味が移り変わるので、どうしても買ったけど、作る気がなくなるものがでてくるんですよね。
何を編もうか考えているときが、一番楽しいときかもしれません。
段染め糸は編んだことがなくて楽しそうなので、編んでみたいです。
野呂さんのもいいし、ラメ入りの段染めもいいし、カシミアやアルパカ等の肌触りがいいものも欲しい。
編んでみたい物はいろいろありますが、手が遅くて、マフラーでさえさっさとできません。
編み物本もいろいろと注文中。
ソーイングのとき、在庫布の存在が結構苦しかったので、毛糸の在庫はもたないようにしたいと思っています。
次々と興味が移り変わるので、どうしても買ったけど、作る気がなくなるものがでてくるんですよね。
何を編もうか考えているときが、一番楽しいときかもしれません。
太古からの感覚 [Knitting]
編み物をしているとき、昔これをやっていたという感覚があります。
それは現世ではなく、生まれ変わる前でもなく、もっともっと昔。
太古からつづく、体の中に潜んでいる感覚。
なぜでしょうね、私が私以外のだれかであったという感覚は少しもないのに、確かに編み物なり、繕い物なり何らかの手を動かして何かを作っていた感覚があります。
現代では、ひまつぶしにしかならない趣味ですが、生まれてくる時代や場所が変われば、私はとても働き者で家族に喜ばれる存在であったことでしょう。
一日中機を織ったり、服を縫ったり、編んだり、たぶん藁でみのをこしらえたり、ぞうりやかごを編んだりもしてたかも。
ハンドメイド界の人は、そういう太古からの感覚があって、きっと昔は働き者、そしてすばらしい手の持ち主と周りから尊敬される存在であっただろうななんて思います。
それは現世ではなく、生まれ変わる前でもなく、もっともっと昔。
太古からつづく、体の中に潜んでいる感覚。
なぜでしょうね、私が私以外のだれかであったという感覚は少しもないのに、確かに編み物なり、繕い物なり何らかの手を動かして何かを作っていた感覚があります。
現代では、ひまつぶしにしかならない趣味ですが、生まれてくる時代や場所が変われば、私はとても働き者で家族に喜ばれる存在であったことでしょう。
一日中機を織ったり、服を縫ったり、編んだり、たぶん藁でみのをこしらえたり、ぞうりやかごを編んだりもしてたかも。
ハンドメイド界の人は、そういう太古からの感覚があって、きっと昔は働き者、そしてすばらしい手の持ち主と周りから尊敬される存在であっただろうななんて思います。