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祝18刷 「日航123便墜落の新事実」 [日航123便]

先日紹介した青山透子氏の「日航123便墜落の新事実-目撃証言から真相に迫る」ですが、書店に行った際、何刷になったかみてみると、2017年10月18日に18刷となっていました。
2017年7月17日が初版発行日なので、3ヶ月で18刷。
このジャンルの本としては珍しくヒットしています。
いきつけの書店でも新刊でもないのに、4冊も置いてありました。

丹念な取材と、冷静な語り口で事実と目撃証言をつみあげる。
公式発表を信用していたけど、本当だろうかと読者は考えることになる。


青山透子 ブログ
「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」公式ブログ
http://tenku123.hateblo.jp


青山透子氏の10月20日のブログによると、
>>トーハン(出版商社)の調べによりますと、出版してわずか2か月で全国でベストセラーの10位に入り、先月は9位、今週は5位と徐々に順位を上げてきています。
9月24日のブログ
>>「すでに9万部突破との記事で、日本国も捨てたもんじゃないと思いました。子供たちの目撃証言が良識ある大人たちの心を揺さぶったのです。貴女の炯眼に脱帽です」


https://www.amazon.co.jp/日航123便墜落の新事実-目撃証言から真相に迫る-青山透子/dp/4309025943
内容紹介
*本書が追求する問題点
●公式記録にはないファントム二機の追尾が目撃されている。
●日航機に付着した赤い形状のものが目撃されたが、それは何か。
●地元群馬県上野村の小中学校の文集に寄せられた子どもたちの目撃証言。
●米軍機が墜落地点を連絡したにもかかわらず、なぜ現場の特定が遅れたのか。
●ジェット燃料の火災ではありえない遺体の完全炭化から考えられるある種の武器使用の疑い。
●事故原因はなぜ意図的に漏洩されたのか。
●圧力隔壁修理ミス原因説への疑問。
疑惑の証拠隠滅につながる数々の証言をもとに、今まで隠蔽されてきた問題が次々と明らかとなり、この事故が「事件」であった可能性が浮かび上がっていく。


amazonのレビューから
言うた! 言わん! あった! 無い! と同様に真相は藪の中。ただ、☆1つの評価をしている人々が、えらく必死で、また妙に刺々しい反応をしているのが気にはなる。ちょうど、誰からも問われないのに、「私は泥棒ではありません」と言っているように思えてならないのだが。
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日航123便ー事故後F-4E艦上戦闘機が発進という公式発表はおかしくないか [日航123便]

「日航機墜落事故 真実と真相」小田周二 文芸社 2015年

日航123便の事故で、次男15歳、長女12歳、親戚3名を失った遺族の方の調査まとめ。


P.183より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー転載開始
事故調による自衛隊の墜落場所の捜索活動についての報告内容は以下の通りである。

8月12日
18:56 羽田、所沢レーダーから日航123便の機影が消える。
   日航機が御巣鷹山の尾根に墜落。
18:57 峯岡山基地、123便消滅を松永貞昭司令官(当時)に報告。
19:05 航空自衛隊百里基地からF-4E戦闘機2機が発進。
19:21 F-4E機「横田タカン(TACAN=電波)300度32マイル炎上中」
19:45 運輸省航空局長室に「JAL123便対策本部」設置。
19:54 百里基地から救難機V107発進。
19:58 百里基地からMU2S 発進。
20:30 MU2S墜落現場到着。
20:42 V107「横田タカン299度35.5マイル」高度5,500フィート、
   V107、米空軍C130Hや米陸軍UH1とコンタクト。
   V107,UH1と高度入れ替わりー>日本当局が正確な墜落地点を把握。
21:00 長野県警「墜落場所は群馬側だ」
   群馬県警が上野村の藤村二郎猟友会長(当時)に道案内を要請。
21:06 朝日新聞社ヘリ「ちよどり」が墜落地点の右斜め下に赤い火を発見。
   前方に数機の飛行機、ヘリの衝突防止灯を確認。
21:10 「ちよどり」が墜落現場を撮影。
21:25 「ちよどり」が羽田から304度方向60マイル、群馬側と測定。
21:30 読売新聞社ヘリ127号機、墜落現場撮影。
21:39 NHK「御座山中腹で煙発見」と報道。
   警察部隊は御座山に急行。
21:50 MU2S現場撮影。
21:56 航空幕僚幹部が運輸省に「御座山北斜面」と連絡。
22:03 NHK「御座山北斜面で炎上中」と報道。日航も発表。
22:05 「ちよどり」「三国山の北方5キロメートル群馬側」と発表。
22:30 長野県警「墜落場所は群馬県内と判断」と発表。
23:35「ちよどり」が現場に自衛隊のヘリを目撃。
8月13日
00:15「ちよどり」が「墜落場所は群馬側」と計測。
01:00 群馬県警が上野村役場に現地対策本部を設置。
01:35 日航「先遣隊」第1陣が南牧村に到着。北相木村に向かう。
02:15 読売新聞最終版「御巣鷹山付近に墜落」の見出し。
03:45 NHK「御座山南斜面」と報道。
04:39 防衛庁「三国山北西約2キロメートルで機体発見」と報告。
04:55 陸上自衛隊陸立川HU1「三国山北西約2キロメートルで機体発見」と報告。現場で映像撮影を実施。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで

これを読んで、レーダーから日航123便の機影が消えた後、F-4E戦闘機が航空自衛隊百里基地から発進したとあるが、事故の可能性が高い時になぜ戦闘機が発進したのか、なぜ救助したり、情報を集めるためのホバリングできるヘリコプターではなかったのか、疑問に思った。
F-4は艦上戦闘機、戦闘爆撃機である。

青山透子氏の「日航123便 墜落の新事実」2017年
相模湾内 護衛艦まつゆき 公試中 石川島播磨重工 短距離艦対空誘導弾(*1)テスト中。(P.191)
(*1)艦対空ミサイルシースパロー


そして朝日新聞社ヘリ「ちよどり」が21:10に墜落現場を撮影し、21:30には読売新聞社ヘリ127号機が墜落場所を撮影している。
それなのになぜ間違った墜落場所がずっと報道され続けたのか。


どうやら自衛隊のテスト中だか演習中だかに、何かが123便にあたってしまい、123便は横田基地に着陸しようとし、横田基地から了解をえていたが、横田に着陸するなと命令が来て、長野県のレタス畑をめざすが人がいたので通過。自衛隊のミサイルで攻撃され、御巣鷹山に落ちた。エンジンの一つは墜落地点より前方に落ちている。これはミサイルでエンジンが攻撃されたことが推測できる。地元の消防隊、猟友会を足止め、誤誘導して時間を稼ぎ、他の入山を禁止し、その間に生存者の抹殺、証拠物件の回収をおこなったよう。
事故発生後50-100人ぐらいの声がしていたが、いつのまにか聞こえなくなり、七人救助されたという報道もあったが、結果的には四人だった。三人はどこに行ったのか。
日航元幹部の「北朝鮮のミサイルに攻撃された」という発言。
待機命令を無視して救助に向かおうとする自衛隊員が射殺されたというニュース速報。
ボイスレコーダーのつじつまのあわなさ。横田とのやりとりはどうなった。
JAL123便のことは墓場までもっていくという中曽根首相の発言。
自衛隊は地元の都道府県の要請がないと出動できないはずなのに、なぜ要請のされていない自衛隊員がいたのか。
123便の軌跡の地図に横田基地が記載されないのは、横田を目指していたとさとられたくないためではないか。
事故調査委員会メンバーの早期の交代。(委員長八田桂三・東大名誉教授、糸永吉連・元日本アジア航空顧問が事故から2ヶ月しないうちに任期満了とのことで交代になっている。真相を悟ってかかわることを絶ったのか)

どうして最初の事故の後「ごめんなさい」が言えなかったのか。
そのあと横田基地に着陸できていれば、全員助かった可能性は高い。
そしたら自衛隊幹部が責任を取ってやめることですんでいたかもしれない。


https://ja.wikipedia.org/wiki/F-4_(戦闘機)
F-4は、アメリカ合衆国のマクドネル社が開発した艦上戦闘機である。アメリカ海軍をはじめ、多くの国の軍隊で採用された。愛称はファントムII(PhantomII)。
用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機、戦闘爆撃機(マルチロール機)

http://mmsdf.sakura.ne.jp/public/glossary/pukiwiki.php?F-4
McDonnell Douglas F-4 (F4H) "Phantom IIファントムツー*1".
米ソ冷戦期の1950年代後半、アメリカ海軍の艦上機として開発された大型ジェット戦闘機。
当時としては高度だったレーダー火器管制装置を操作するため、専門の要員が必要となったことから、コックピットはタンデム複座となっている。
強力なJ79ターボジェットを2基装備しながら、航空母艦のエレベーターに収まるサイズに設計された。 その結果、太くて短い胴体に、下反角の大きなスタビレーターや折り畳み式クリップトデルタ翼を組み合わせた、独特の形状となった*3。
また、搭載能力にも余裕が大きく、戦闘爆撃機としても優秀であった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/V-107
V-107(CH-46)は、アメリカ合衆国の航空機メーカー、ボーイング・バートル社が製造したタンデムローター式のヘリコプター。

https://ja.wikipedia.org/wiki/MU-2
MU-2は、日本の三菱重工業が製造した多目的小型ビジネス飛行機で、双発のプロペラ機。1963年(昭和38年)初飛行。

C-130H
http://www.mod.go.jp/asdf/equipment/yusouki/C-130H/index.html
愛称は「ハーキュリーズ」、世界各国で採用されている戦術輸送機です
国産C-1輸送機の補助用として、昭和56年度から購入することになった戦術輸送機。完全武装の空挺隊員64人(通常の搭載人員は92名)を乗せることができます。米国初のターボプロップ(エンジン名)実用輸送機で、「ハーキュリーズ」の名前で知られています。米空軍、海軍、海兵隊のほか、世界各国でも採用されています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/UH-1_(航空機)
UH-1(英語: UH-1 Iroquois・イロコイ、愛称:Huey・ヒューイ、旧称:HU-1)は、アメリカ合衆国のベル・エアクラフト社が開発したモデル 204/205/212ヘリコプターのアメリカ軍における制式名称。1959年よりアメリカ陸軍で採用され、ベトナム戦争などで活躍した。現在は後継機種のシコルスキーUH-60 ブラックホークに置き換えがすすんでいるが、日本の陸上自衛隊を含めて多くの国々では現役である。

(10月20日追記)
墜落現場を長野県警、群馬県警が群馬側だという一方で、03:45 NHK(長野県)「御座山南斜面」と報道。
棺桶800個、霊柩車50-70台が発注されたのは、事件発生日12日の夜。
12日の夜、東京の業者は棺桶をトラックに積み、群馬県藤岡市に向かっている。これは日航が発注。
藤岡市の葬儀店には地元の警察から12日の夜に「棺桶はどれくらい用意できるか」という電話があった。
長野県警、群馬県警、日航は12日夜には群馬県側と認識していたということ。

しかし事故機の乗客家族は大型バスに押せられ、13日朝に群馬県上野村に移動、その後碓氷峠を迂回して藤岡市の手前でなぜか3時間待たされている。藤岡市に入ったのは13日の14時過ぎ、そのとき50−70台のおびただしい霊柩車の列を見たと。

20171020-1.png

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赤いところが御巣鷹山のある群馬県上野村。
東にいけば藤岡市にでれるのに、なぜ碓氷峠を通ったんでしょうね。
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日航123便の真実 日刊ゲンダイ [日航123便]

https://twitter.com/i/web/status/899892377690619904
KK‏
@Trapelus
血の気が引いた「日航123便墜落事故の真実」
実際、技術畑の遺族の中には同様の疑いを抱き、独自に調査を進めた人もいるらしい。大手メディアが黙殺したので、私自身を含めた圧倒的大多数が知らないだけである。

二極化・格差社会の真相 斎藤貴男(日刊ゲンダイ)
20170827-1.jpg

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
皮膚の下に膿があることに、一部の人しか気づかなかったけれど、膿が皮膚表面に噴き出して来て、多くの人が気づいてきているのですね。
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「日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」青山透子 [日航123便]

「日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」青山透子 河出書房 2017年7月30日

こちらが朝日新聞の広告欄に出ていたので、早速読んでみた。
青山透子氏は元日本航空客室乗務員のかたで、事件当初は圧力隔壁の損傷が原因という公式発表に疑問を持っていなかったが、過去の記事を読み込むうちに、これは事故ではなく、事件なのではないかと思うようになった。

そして新聞の過去記事や、資料を読み込むうちに湧き出てきた事故原因への疑問をまとめて、2010年に「天空の星たちへ 日航123便 あの日の記憶」(マガジンランド)を出版された。

今回出版されてたのは、その出版以降に調べたこと、インタビュー、前の本に書ききれなかったことである。
事故現場近くの小学校、中学校の文集、当時の運輸大臣との話し合い他、精力的に調査されている。

驚いたのは、遺族となった吉備素子氏の体験と記憶である。
血液検査を頼んでいたご主人の遺体と思われる一部を、荼毘にふすとの連絡があって、それはちょっと違うと警察ともめた。納得がいかないので、日航の高木社長のところに連れて行ってもらって話をしたが、社長は現場をみていない様子だった。そこで一緒に中曽根首相のところにいって直訴しようと言ったら、そうしたら私は殺されると震え出したと。一体どういうことなのか。このときはすでに後部圧力隔壁の修理ミスということで九月七日にボーイング社より手落ちがあったと報道されているのに。

ほか、「山案内を依頼された猟友会が機動隊員32名を案内するが、地元に詳しい猟友会側は墜落現場をスゲノ沢と特定して機動隊へ進言するが、聞き入れず、隊を分けることになった。しかし機動隊の足が異常に遅く現地へ到着せず。空が明るくなっても機動隊は別の場所を主張。消防団、猟友会独自にスゲノ沢へ移動。夜明けになると急に機動隊はレンジャー部隊編成のためといい、本部へ引き返した。」(P.197)というのも不審な行動に思えます。

また生存者が発見されてから、救助のヘリに乗せられるまでに時間がかかっている。
落合さんは消防団員によって10時54分に発見された。
日赤の医師2名と、看護婦2名がヘリコプターで12時13分位現場上空に到着し、降下したが、そのあとまったく救護のヘリが来なかった。やっと救護用ヘリが到着し、13時5分にようやく生存者のヘリへの収容が始まった。

ほか、公式発表に疑問を持つ人々の声がたくさん掲載されている。

これを読んで思うのは、点と線のこと。
飛行機を見かけた時間、どちらに飛んでいったか、どこの部隊が救助に来たか、一人一人の証言をつないでいくとぼんやりと絵が見えてくる。

隊員の様子をした人たちが来たら、警官の様子をした人がきたら、まるまる信用しないで、こっそりと写真の一枚でもとっておいたほうがよさそうだと思いました。
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シリコン化と日航123便 [日航123便]

日航123便事件を追っていたら、シリコン化の話がでてきました。
なんだろうこれ。


「日航123便事件の真相・・・生存者はどこへ」
http://planz.blog62.fc2.com/blog-entry-203.html#cm

南相木ダム建設中の写真です。堰堤の下に、例の黒い石層が広がっています。
http://www.youtube.com/watch?v=YoKujgc8GK0

>いつ、どこでなにが起きるのですか?
この、黒い石層は、宇宙からの攻撃により地上が一瞬にしてシリ化(シリコン化)した状況です。
これは、突如として発生するものであり、人間牧場の終焉時に繰り返されている現象です。
Posted at 15:19 on 2010-11-07 by 123


ちなみにこのyoutubeをみようとしたら
"日航ジャンボ123便 関連資料 長野県南相木ダム..." この動画に関連付けられていた YouTube アカウントは、著作権侵害に関する第三者通報が複数寄せられたため削除されました。
ということでした。

「日航123便事件の真相・・・御巣鷹山トンネル②」
http://planz.blog62.fc2.com/blog-entry-201.html
今回問題にしたいのは、御巣鷹山トンネルの出口(群馬側)だ。 なぜかこの出口には近づく事が出来ない。 出口のある林道が通年閉鎖されているからだ。 この事件に関わらず、この辺りの林道・トンネル等は林道やオフロード愛好家のサイトでも不可解であるとの紹介をされる程である。

何度も書いているが、まず今までトンネルを一般開放しない事事態が不可解。 ダムの完成と同時に開放するとの公約を破り、沈黙のまま未だに「工事中」などの看板で人を寄せ付けない。工事は確実に終わっている。

第二に、入り口(長野側)は南相木ダムのアクセス道路の道沿いということで、進入が不可能ではあるが、その存在を普通に確認できる。が、出口(群馬側)は、目視どころか画像すらほとんど見る事が出来ない。一部サイトで見る事は出来るが、工事中などのかなり古いものばかりで、現在の画像などは見る事は無い。

オレンジの直線が御巣鷹山トンネル。 長さは約2.1km。 確かに南相木から上野ダム方面へ出るにはぶどう峠や十石峠へ迂回する必要がなくなるので意義のあるトンネルではある。 ただ、県境を越えるトンネルであるにも関わらず東電の私道というのも引っかかる。

拡大写真。 閉鎖された林道付近の建造物にしては怪しげな雰囲気がある。

「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便」 [日航123便]

「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便」飯塚訓 講談社 1998年

飯塚訓
1937年、群馬県に生まれる。日本大学法学部を卒業。1960年、群馬県警察官として採用され、以後、警察本部課長、警察署長、警察学校長などを歴任。1985年、高崎署刑事官在職時に、日航機墜落事故が発生、身元確認班長に。1996年、退官。

昭和六十年(1985年)8月12日、日航機墜落事故が発生、身元確認班長として行動されたことの記録です。
520人がなくなり、127日間にわたる身元確認作業の中で、とくに藤岡市内の三つの体育館で行われた47日間の実録です。事故から13年たってからだされた本。

身元がわかりやすい遺体もあるけれど、部分になってしまった遺体もたくさんある。
それを間違いがないように遺族にひきわたさなければならない。

報道関係者ははいれないので、そのような現場のことは全く知りませんでしたが、体育館に22箇所検死場所をつくり、200人近くの警察官と150名を越す医師、歯科医、看護婦たちで行なった。
ひとつの遺体に対し、検視官以下警察官5-6名、医師2名、看護婦2-3名、歯のある遺体には歯科医二名が加わった。
身元確認班員を2名づつつけて、身体特徴、着衣、所持品、指紋、血液型、歯型の採取を行なった。

あるひとの頭に別の人の頭がはいりこんだり、衝突の衝撃で皮膚から中身がとびでるということを知りました。
夏の暑い中連日明け方まで、たくさんの遺体の確認をされたようです。
なるべくもとの体に近づけるように、縫合できるところはしたり、復元したりもしてくれるのですね。
ボランティアグループが、冷たい麦茶を用意してくれたり、冷たいおしぼりを差し出してくれたりするのがありがたかったと。


P.72の座席別遺体の散乱状況図をみると、生存者がみつかったすげの沢は、墜落地点から250メートルもあります。
こんなに広範囲に散らばるのですね。

日航の会社の人は、遺族対応をがんばってされているのですが、遺族の怒りのために、土下座されたり、棺の中に頭を押し込まれ、後頭部を押さえられて謝罪することになったり、スリッパを投げつけられたり、胸元を掴んで壁に押さえつけられたり、プロレスまがいの飛び蹴りまでされたり、ひどいことをされたと。
しかし、それを訴えることはできない立場。

機長さんのご家族も、自分のところがはやばやと身元確認をするわけにはいかないと、しばらく日数がたつまで、身元確認にはこられなかったと書かれていました。

日航123便のことを調べていると、原因は公式には圧力隔壁の損傷ということになっていますが、真実はそうではなく、ミサイルによる攻撃をうけたことによるみたいですね。
そうすると、日航職員にはなんの過失もない。

当時の中曽根首相が「日航123便のことは墓場までもっていく」と言ったそうですので、墓場まで持っていかなくてはならない秘密があるということ。
それはいったいなんなのか。


「(新) 日本の黒い霧
日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故の真相、その他の未解決事件、改竄された歴史について考える。」
http://blog.goo.ne.jp/adoi

「【閲覧注意】日航機墜落事故の衝撃画像集」
https://matome.naver.jp/odai/2137658341727256101?&page=3

20170713-1.jpg
画像はこちらから。
http://rapt-neo.com/?p=28352

この男の子は生きていたんではという話ですが、遺体は布に包まれているけど、この子は抱きかかえられている。
腕がだらっとしていない。
死んでいたり、意識がない人は頭が後ろになるはず。
だから生きてたんですね。


日航123便のこと 男の子の生存者 [日航123便]

「日本人は知ってはいけない。
ないしょの話。
2011年08月13日
御巣鷹山の怪ーJAL123便の無念。」
http://cosmo-world.seesaa.net/article/219971763.html
何度も申し上げている通り、JAL123便の事件は、グリコ森永事件→JAL123便→プラザ合意→バブルという、一連の社会、政治現象と密接な関係があります。


「世界の真実の姿を求めて!
最近世界が本当は全く違った歴史や事実を隠していることに気がつきました。自分でその真実を確かめたくて、このブログを書きます。」
カテゴリー 日航機123便墜落事故 20記事
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-category-29.html

このカテゴリーの記事タイトルをあげると
日航機123便事故当時の日経記事「生存者の内1人は少年らしい。」
日航機墜落事故翌日の朝日新聞夕刊トップ記事は「生存者8人」
JAL123便日航機墜落事故の5人目の生存者はどうなったのか。
「JAL墜落25年後の真実」ー週刊現代2010年8月14日号
自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真
公安警察はテロリスト集団に味方する。
JAL123便航空機事故現場地下で何かが行われている。
日航機JAL123便事故の真相追求者の生命をかけた戦い!
『沈まぬ太陽』で今注目の日航機事故その現場 で2日前にあったこと!
日航ジャンボ機・墜落事故と「怪人21面相」
日航機123便事故の垂直尾翼が破損してなかったという重要証言!
日航機123便墜落 それは本当に自衛隊だったのか?
御巣鷹山JAL123便墜落で「圧力隔壁破壊」も「尾翼破壊」もなかった②
御巣鷹山JAL123便墜落で「圧力隔壁破壊」も「尾翼破壊」もなかった?
日航機123便事故は米国の罠で、戦後最大の弱みを握られた?
日航機墜落/ 特殊部隊は墜落現場で何をしたか!
御巣鷹山日航機JAL123便 PM9時20分に現れた日本の救援機の正体は?
御巣鷹山日航機墜落事故で救助が遅れた理由
御巣鷹山日本航空123便墜落事故の現場にいた人々が語る!

24年立った今月になって、御巣鷹山日本航空墜落事故の現場にいた人の話がネット上に流れてきています。
真偽の確認はできませんが、リアリティのある内容から真実であると推測。
事故後明け方に自衛隊らしき人が大勢いたにもかかわらず、すぐに発見されるような場所での生存者が一人もいなかった。
助けられた4人は飛行機の破片の中に埋もれていたため、発見が遅れました。救助された4人は発見の遅れが幸いして、生き残ることができたのではないか。

M氏[6]:既に自衛隊員が7~80人、いや100人位は来ていました。それを見て、自分たちは一番乗りできなかったと思いましたね。同時に、事故犠牲者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのがはっきりと聴こえました。
どれくらいの人が生きていたのでしょう?

M氏[7]:全部を数えた訳ではありませんが、声の響き方からすると少なくても4~50人は居たと思います。

ただ、隊員さんの対応には不信感を覚えましたね。「へたに動かすと危険なので、後から来る部隊が手当することになっている」と言うだけで、何もしようとしない。手にした4~50cm 位の丸いバッグに、地面から拾った物を黙々と入れ続けている。


証言からわかることを、以下箇条書きにします。

・13日午前4時、公式発表ではまだ発見されていないはずの墜落現場に
 自衛隊員が既に100名程度来ていた
・自衛隊員は人命救助よりも何かの回収を優先していた
・4~50名の生存者の声が聴こえた
・1時間後には生存者の声が全く聴こえなくなった

突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。

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「日航123便事件の真相・・・生存者はどこへ」
http://planz.blog62.fc2.com/blog-entry-203.html
このブログもまたあいさつなく中断。
最終更新Posted on 03 December 2015 (Thu)
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